自己紹介

はじめまして!福岡県出身の大学生です!今回は自分の生い立ちについて語りたいと思います笑
内容としてはあまり面白くないと思うため、ご容赦ください笑

私は、2000年生まれの大学2回生です!勘が鋭い方はこの段階でお気づきかもしれませんが、私は一浪しています笑
生まれは、鹿児島県ですが、人生の大半を福岡県で過ごしているため、出身を福岡県とさせていただきました。毎回自己紹介をする際は、自分の出身の定義について考え込んでしまいます笑

鹿児島県で生まれた後、母によると3歳ごろまで、母方の祖父母たちと鹿児島で暮らしていたそうです。私は記憶が全くないため、どんな生活をしていたかなどは全く覚えていません笑

その後、父の出身地である福岡に移り住み、田舎の幼稚園に通うようになりました。当時はかなりの悪戯っ子で、一度先生にめちゃくちゃ怒られ、大号泣したのは今でも鮮明に覚えています笑

年長になるタイミングで私は幼稚園から保育園に転園しました。その際に幼稚園の同級生からもらったお別れのアルバムは現在でも実家に残っています!ほとんどの同級生は覚えていないのですが、仲が良かった子や、同じ小学校に進学した子もアルバムの中に写っていたため、入学後に同じ幼稚園であったことを思い出すことが何度かありました笑

5歳のときに私は初めて海外を経験します。母の妹が青年海外協力隊でネパールに滞在していたため、母と、祖父と自分の三人でネパールに訪問しました。当時幼かった私ですが、その時の記憶はとても鮮明に覚えています。日本とは全く違い、発展途上国であったネパールでは都市部と郊外の格差がすごく、都市部では高層マンションなどの開発が進むのに対し、郊外では、未だに土で作られた家に住む人がたくさんいました。また、空港に着いた際には、荷物を持つ代わりにチップを求める現地の人が多くいました。祖父は、荷物を持たせてあげようとしますが、そんな祖父に叔母が言った一言が今でも忘れられず、鮮明に覚えています。その言葉は、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ」というものでした。その場で聞いた時は何を言っているのかわかりませんでしたが、その後に叔母に話を聞くと叔母は、「あの場で荷物を持たせてもその場しのぎにしかならないが、技術を教えれば、今後その技術を生かして生きていくことができる」と教えてくれました。ネパールの病院で医療技術を教えているだけあり、とても重みのある言葉でした。

また、幼稚園にいるときに、私は公文に通い始めました。公文は4歳から小学6年生まで続けましたが、小学2年生ごろからは、嫌々通っていたことを覚えています笑
何度も母に辞めたいと言いましたが、母は「あんたがやりたいって言ったんやろ!」と辞めさせてくれませんでした笑
今考えると、4歳の頃の発言なんて覚えているわけがありませんよね笑

また、公文の他に英会話にも通っており、ネイティブの外国人と週に1回お会いする機会がありました。そのとき私がどのくらい会話できていたのかは覚えていないのですが、母が聞き取れないくらいの会話をしていたそうです。今必死に英語の勉強をしているので、それほどペラペラ話せていたのなら、4歳に戻りたいと何度も思いました笑(特に受験期)

私は5歳のときに

小学校、中学校は地元の小中学校に通う一般的な家庭と変わらない生活をしていました。
まず、小学2年生のときに2度目の転機が訪れます。小学2年生のクリスマスイブに地元の少年野球チームに入団しました。それまでに体験会などに行ったことはありましたが、入団はしていませんでした。父が野球をしていたこともあり、よく公園でキャッチボールなどをしていました。このとき始めた野球を最終的には高校を卒業するまで続けていました。

小学校、中学校と特に勉強に困ることはなく、学年で5番から10番ぐらいの位置にいました。中学の頃は、特に将来の夢ややりたいことがなかったため、なんとなくで高校を決め、進学校に進学しました。

高校では、部活と勉強の両立が難しく、クラスでも真ん中ぐらいの成績でした。高校では、1年生の時に短期留学でニュージーランドへ、2年生の時に修学旅行でオーストラリアに行きました。1年生のときに行ったニュージーランドでは、現地の学校に行くことができたので、現地の教育を受けることができました。現地の高校では、生徒の全員が自分のパソコンを持っており、授業もパソコンを使用する授業が多かったです。また、授業内容も日本のように国語や、数学などではなく、大学で学ぶような統計学や言語を学んでいました。この点において、私は日本の教育は遅れており、ニュージーランドのように現代で役に立つ知識を高校のうちから身につけていかなければいけないと感じました。当時の私はパソコン慣れしていなかったにもかかわらず、現地の高校生や自分より年下の学生は、パソコンに慣れていたため、圧倒されてしまいました笑

また、修学旅行でのオーストラリアではファームステイだったため、現地の生活を体験することができました。また、犬や猫はもちろん、豚や鶏など多くの動物と過ごした時間は今でも忘れられません!

このように、色々な体験ができた高校生活でしたが、勉強は全くしておらず野球に熱中していたため、成績はどんどん落ちていきました。そのため、大学受験に失敗してしまい、浪人することになりました。

結果的に第一志望には落ちてしまいましたが、僕はこの浪人生活は経験できてよかったと思います笑
確かに、一日中勉強するだけの生活はとてもキツかったし、何度も逃げ出したくなりました。しかし、支えてくれる家族や友達の大切さを改めて感じることができました。

予備校の先生は勉強はもちろんのこと、これから必要になってくるスキルや勉強以外に人として必要なことなどを教えてくれました。
また、高校で押し付けられる教育が嫌だったこともあり、自由度の高い予備校を選んだことで私の自主性を尊重してくれ、自分が好きな時間に勉強し、好きなタイミングで休むことができる生活を送ることができました。

第一志望に受かることはできませんでしたが、私はこの予備校に通っていなければ、この第一志望を受けることもできなかったと考えています。

現在は、田舎の国際系の大学に進学しています。国際生と交流する機会もあるため、ここでの生活を満喫することができています!
最近になってようやく自分のやりたいことが明確になり始め、その実現のために勉強を始めました笑
浪人時代が終わってから全く勉強していなかったので、正直きついですが、浪人の時とは違い、自分の好きなことを勉強できるのでこれからも頑張っていこうと思います笑

以上が大学2回生までの生い立ちです笑
こんなにつまらない内容の文章を最後まで読んでくださってありがとうございました!

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